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ご存知のように、イギリスは世界で最初に産業革命をなし遂げた国です。その結果、経済的にも、政治的にも目覚しい繁栄を誇ったわけですが、その一方で工業化の負の遺産というものも抱えました。つまり大変な公害を背負い込んでしまいました。1960年代のイギリスといいますと、長年の発展が峠を越え、公害問題が顕在化した時代でした。いまからたった30数年前のことですが、産業革命の発祥の地と言われるマンチェスターでは、数十メートル先が見えないくらい空気が濁ってしまったと聞いております。
イギリスの社会改革がいつから始まったか遡ればきりがないのですが、一応1960年代で区切ろうと思います。
当時の社会状況に対し、そのままでよいのだろうかという反省が起き、消費者運動が盛んになりました。消費者運動の始まりは「アメリカ発」と言われてきましたが、ヨーロッパでも消費者運動が活発で、社会改革運動にまで発展していきました。もちろん日本もその影響を受けたのですが、社会改革にまで結びつきませんでした。
1970年代に入りまして、イギリスの社会改革は、市民主権と申しましょうか、市民が直接政治的な決定ができるような社会にしようと、さらに展開していきました。
その一方で、景気が低迷し、財政赤字がどんどん膨らんでいく、いわゆるイギリス病におちいりました。
1970年代、イギリスで行われた社会改革は、徹底した地方分権でした。これは、単に行政上の決定権を地方自治体に移すというだけでなく、徴税権の移行から市町村の大きさの見直しまでを含める大胆な地方制度改革でした。しかし、イギリス病はなかなか克服されませんでした。

2 パートナーシップ社会への転換−1980年代

グラウンドワーク活動による社会実験1970年代末、かの女性宰相サッチャーさんが政権を握りました。サッチャーさんはまずイギリス市民に謝りました。これこれの財政赤字があって、もはや政府は市民の期待に充分応えられないと。

もちろん、70年代からの社会改革も継続されました。行政改革は徹底しておりまして、財政支出を削減したり、公務員数を大幅にカットしたりしました。当時、アメリカのレーガンさんも同じような政策を推し進めておりましたが、彼らの改革は、日本で信じられないほど厳しいものでした。
その上で、サッチャーさんは市民の自助努力を促したのでした。イギリスの社会改革の経過を見ますと、ひょっとしたら行政改革は保守系の政治家でないとできないのではないかと、そんな印象があります。
サッチャーさんの主張は説得力があって、市民は受入れざるを得ませんでした。人びとは国に「見捨てられた」といって落ち込むかと思いましたら、俄然元気を出しました。国が面倒をみてくれないなら、これ幸い、自分たちで自分たちの地域社会を築いていこうと、立上がりました。そのときの市民の合言葉が「パートナーシップ」というキーワードでした。市民、それから行政、企業といった社会の主だったセクター(部門)が協力し合い、いろいろな試みが始まりました。グラウンドワークという市民活動は、そのときに始まっ

 

 

 

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